近畿ブラ歩き2

休日の余暇を利用して、畿内の神社仏閣と祭り・催しを訪れて歩き回って居ます

皇族が乗られた山鉾

先の投稿から一月位間が空きまして、暑さと湿気で嫌気か差して夏眠と言う頭のクールダウン期間に入りました。

只、映像を並べて貼り付ける為ら右も左も解らない初心者が行う作業なので済む事ですが、其れでは詳細が伝わらないので頭を使って自分の言葉で読者様に伝わる様に務め毎回投稿致して居ます。

其の作業が、結構疲れます。

パソコン入力ではなく、スマホでの投稿なのでパソコン違って入力にも制約が懸かって居るので遊びが出来無く、操作に手惑い長文投稿にも画像貼付け作業や文面入力作業が入るので、或る程度の所で纏めなければ成りません。

だか物足りなすは否めず、作成して居ても満足はして居ません。

 

此処からは、前置きは終いして本題に入ります。

前回の投稿は、祇園前祭の先頭を巡行する長刀鉾で語りましたが、今日の投稿は郭巨山から函谷鉾、綾傘鉾、籤改めまでを見物して帰路に着くまでを投稿致します。

 

長刀鉾後方の輜重まで投稿致しましたが、今日は其の後続く郭巨山から再開します。

 

担ぎ山の郭巨山で、辻回しの時は担いで直角に辻回し回しを行う小さな鉾です。

出発はしたが、長刀鉾が籤改め処で稚児さんが綱切の儀式で次回待ちで待機して居ます。

 

 

 

今日の投稿のお題に挙げました山鉾で、函谷鉾です。

函谷鉾は、稚児さんを乗せて居ない大きな鉾の一基でして、代わりに稚児を似せた人形を前に据えて居ます。

所が、今回稚児人形の見える左側に女性が搭乗して居る姿が拝見し、最初は「ああ、女性も鉾に乗られるのだなぁ」と感嘆して居ました。が帰宅後、スマホを開いて京都新聞の記事を閲覧して居ると驚愕する内容が記載されて居り、鉾に女性皇族が乗られて居られたと投稿して居ました。

其の女性皇族は、親しみを込めて髭の殿下と呼ばれていた三笠宮寛仁親王殿下第一皇女彬子女王殿下です。

よくよく調べて見ると、京都の私大で特別教授,客員教授,客員学術員を3大学で務めて居られ、京都を基盤に活動されて居る合間公務もお勤めされて居ます。

京都で活動されて居る縁で、此方の函谷鉾さん共御縁お結びに為られたのだと思われます。😱

 

稚児人形の左脇に、隠れる様に女性の顔がお見受けされます。

 

 

綾傘鉾保存会の面々で、先頭には役員や6人の生稚児が並び、少し間を置いて「棒振り囃子」の面々が並んで巡行する。

4枚の画像に、綾傘鉾の花形で有る「棒振り囃子」の面々が並んで居ます。

「棒振り囃子」は、鉦(かね)・笛・太鼓の演奏にあわせ、赤熊(しゃぐま)を被った踊り手が長い棒を軽快に振り回して悪霊や厄を払う伝統芸能です。

 

主な構成と役割

・棒振り(ぼうふり):赤い長髪の「赤熊」を被り、長さ約150cmの棒をダイナミックに回して厄を清め払う花形役。

・巡柱(じんちゅう):阿形吽形の神面(能面)をつけ、太鼓を支え者打ち鳴らしながら者の2名1組で中心を担う。

・囃子方(はやしかた):独特の「コン・チ・キ・チン」を響かす鉦(かね)や、篠笛・能管で全体にリードする。

 

※此方の棒振り囃子は、大相撲の結びの一番の勝者に成り代わって其の日の1日を締めて厄払いを行う弓取り式にも相通じる所作がよく似ており、所作の意味合いは横綱手数入りの柏手で悪霊を祓い、四股を踏んで悪霊と災厄を祓い清める所作と弓取り式で弓を豪快に振り回して厄を振り祓い、弓を肩に担いで四股を踏んで地に潜む悪霊を祓い清める所作で其の日の興行を締め括ります。

其の知識を頭に入れて棒振り踊りを拝見すると、絶対に嗚呼全く所作が同じ厄払いに通ずる事を理解します。

籤改めで隊列が渋滞し、籤改め式が終えたら、籤改め所が観光協会主催で特別有料観覧席が設置されて居るので棒振り踊りを披露します。

更に2箇所辻回しを行い、京都市役所前に有る特別有料観覧席でも棒振り踊りを披露します。

棒振り踊りの披露は、山鉾巡行以外でも14〜16日の宵山の期間、綾傘鉾保存会が有る綾辻通で披露されて居るので来年余裕の有る方は泊まり掛けで訪れて下さい。(笑)

夜に行なわれるので、泊まり掛けでも見学は厳しいと思われます。

本当に毎回観たいので有れば、京都の各保存会が有る界隈に引っ越ししなければ成りませんですね。

 

丁度、上下衣装の役員が町を代表して籤改めに臨んで居る最中です。

此方も引いた籤を箱から取り出して、懐紙で覆った書状を籤改め方に突き出して恭しく述べて受け渡す儀式が垣間見る事が出来ます。

少し遠目だったので、ハッキリと拝見する事が出来ませんでした。残念至極。

籤改めを拝見して、長居は無用なので所要1時間足らずで帰路に着きました。(笑)

 

次回の投稿は、6月に大徳寺へ拝観した取り溜めの映像を投稿致します。

詳細は、投稿にて述べさせて頂きます。

 

天神さんに参詣

酷暑の8月でも出歩いて居ましたが、流石に暑い最中の神社仏閣への参詣は控えて居ましたが、少し気温が緩やかに成りましたので頃合いも良く本日は私の公休で久方ぶりに神社にお詣り致しました。

行き帰りは電車を乗り継ぎ、最後の乗り継ぎが京福電鉄嵐山鉄道の四条大宮駅から帷子ノ辻駅経由で北野白梅町駅行列車に乗車しました。

 

KYOTO TORAM車両内の様子です。

最新のトラム車両でして、乗り心地も良く毎日乗りたい気分させられます。

 

京都トラム車両の運転席側です。

 

北野白梅町駅近辺の名勝地アクセス案内と嵐山電鉄路線図です。

 

丁度、私の目の前で京都市営バスから下車して北野天満宮へ向かう参拝者の渋滞模様。

 

此方の連続映像は、毎月25日天神市には店開きして居る粟餅所 澤屋さんの店頭に飲食目的で順番待ちされて居るリピーター客さん達の様子を撮影しました。

 

北野天満宮第一石鳥居前に、露店商等が集まるフードコートです。

 

 

第一石鳥居を潜れば、楼門まで続く参道です。

今年❓️う〜ん!?新たに設けられた公衆トイレです。

公衆トイレと楼門の中間に有る撫で牛像。

撫で牛像は、境内に数カ所お目にかかる事が出来ます。

 

ヤット楼門が、見えて参りました。

楼門までは、参道は真っ直ぐ延びて居ますが、楼門を潜ればは道は有りません。

何故か?其の理由を知って居る方はご存知ですが、何方をお祀りして居るか知らない方が大勢居られます。

お前、何を馬鹿な事を言って居るのだと言われる方が大勢居ますが、実際に菅原道真公をお祀りして居るのですが、道真公の姿をした大怨霊を神として奉って居るのデスね。

だから参道は、三光門潜っても道が無く、左側を直角に今度は右折して曲がり本殿まで続くのでです。

何故か、本殿に鎮め奉って居る怨霊神を外に逃さぬ陰陽師の知恵が活かされ居るのです。

 

楼門と門に吊るされて居る大丸献納の大提灯です。

 

先程は、道が無いと書きましたが、菅公をお祀りされて居る拝殿に行く参道は直接辿り着けず、代わりに拝殿には行かずに拝殿横を通り、右側社殿(宝物殿・神楽殿・風月綻と左側(拝殿を囲む社殿)の間に石畳の参道が東門まで延びて居ます。

楼門を潜って、右側を向かって見ますと左義長像と池に花を浮かべた手水舎が見えて居ます。

 

 

三光門を潜って今度は左側を向い見ますと絵馬殿が見えて居ます。

9月の天神市では、初めて猿廻しの曲芸を垣間見ました。

本来は毎年11月以降に猿廻しの曲芸師が絵馬殿で芸を披露しますが、今回は大学生の案内ボランティアも御目にかかる事が出来ました。

さて今度は絵馬殿から望める拝殿に向かう参道を参りましょう。

 

拝殿に向かう参道の両側には、氏子蓮が納めた名前書きの提灯が掲げられ、更に奥に進むと氏子蓮の元締と大寄進者の名前も見えて居ます。(笑)

京都に於ける名士のお名前を見付けました。

 

三光門から左右を眺め、拝殿前まで進み出て拝殿に拝礼を行い、即拝殿から退出しました。

昼食は、北野白梅町駅に到着して最寄りの京都王将で済ませましたが、今日は厨師の接客に対する部下の対応に苛立ち、料理の味に反映して居ました。

炒飯に火が完全に通って居らず、塩コショウと醤油の味付けも満足に出来て居らず、味の呆けた出来損無いを食べさせられた。

そういった事も重なり、さっさと家路に着きました。

次回の投稿は、祇園祭前祭が中途に成って居ますので、引続き投稿再開致します。

 

 

 

 

 

本日からブログを再開致します

長い酷暑で気力が失せて、ブログ投稿に身が入らく成り暫く夏眠して居ました。

本日よりボチボチと投稿を開始します。

本日は、朝から好天でお出掛け日和成り北野天満宮に参詣します。

今日の見聞は、帰宅後に編集して投稿致しますのでお楽しみです下さい。(笑)

2026年7月17日祇園前祭山鉾巡行1️⃣

前回の当日の報告は開始前の触りを投稿致しました。

此処までが、前回投稿致しました画像です。

開始直前で救急車が、待機して居る山鉾の列に割り込んで来て騒然としました。

何事か?と思いきや❓️自分の体調管理も出来無い無粋者が、救急車のタンカに載せらて運ばれ、山鉾巡行の開始が少し遅らせる事態と成りましたが、無事に開始出来ました。

 

此方からは、其の後に撮影しました画像です。

先頭を切る籤取らず長刀鉾が、ジワジワと近付いて来ました。

 

長刀鉾が、籤改め処まで綱を引っ張り移動してます。

 

近付いて来たら、私の双眸は長刀鉾の稚児さんに釘付けに成りました。

稚児さんの立ち居振る舞いと所作を見ていると、両手🤲で印を結んで居る所作が見えて居ます。

 

京都の祇園祭で先頭を行く長刀鉾に乗るお稚児さんは、生身の子どもが乗る唯一の「生稚児(いきちご)」です。

年齢8〜10歳ぐらいの男子が選ばれ、神の使いとして扱われ、山鉾巡行で「しめ縄切り」を行う重大な役目を担います。

 

以前は、他の鉾も生稚児を乗せて山鉾巡行をお練りして居ましたが、天命の大火(1788)で壊滅的な被害を受けた函谷鉾が天保10年(1839)に復興する際、稚児人形を持ちいたのをきっかけに、鉾の鉾もそれにならい人形に替えていった。

前祭23基・後祭11基・休山1基有る中、唯一山鉾に乗る生稚児を抱いてのが長刀鉾だけでして、山鉾には乗って居ないが生稚児が多数居るのが綾傘鉾です。

 

長刀鉾の象徴的な花形が生稚児為らば、長刀鉾を指揮する花形は音頭取で、鉾の前部に乗って片手に綱を握りしめ、片手に金箔銀箔を散らばった扇子を広げて声掛け一閃扇子を左右に振って曳き手と屋根方・囃子方・車方(鉾の舵をとる役)に指揮だす役割を担って居ます。

生稚児を介添えして居る剛力に命を預け、剛力に身体を支えられて前にせり出され、舞を舞って居ます。

 

囃子方の鉦(かね)・太鼓・笛の音が、あの独特の「コンコンチキチキコンチキチン」と流れる音を奏でて居ます。

 

長刀鉾を輜重を担う裏方。

輜重の中には、熱中症を予防する為、ペットボトル飲料や拡声器📣・トランシーバー・カメラ等及び所持品が入って居ます。

 

更に先に、観光協会が観光客目当ての有料観覧席を設け、其の中心に籤改め処が設置して居ます。

長刀鉾は、先頭を切る鉾で「しめ縄切り」の大役を担って居ますので当然籤を取らずで通過する特権を得て居ます。

籤取らずの鉾数基以外は、籤改めで籤番を記載した書状を広げ、書状に記載した文言を町の長老が代表して読み上げ、改め方は確認して書状を受け取る。

次回も引続き、投稿致します。

 

祇園前祭宵々山 四条傘鉾

芦刈山を後にして、綾小路通を右折して油小路通に沿って四条通に出ました。 

四条通から烏丸通に向う矢先、最後の足止めをして四条傘鉾に向いました。

四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふりはやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。

明治4年に巡行に加わって以降と絶えていたこの四条傘鉾も、昭和60年、町内の人々の努力が実り傘の本体が再興され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りとはやしが復元され、32番目の山鉾として巡行することになった。

なお、踊りとはやしは、室町時代に京都から広まった風流踊りで、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケンケト踊」を参考に復元したものである。

垂りは鈴鹿雄次郎製作の麗光鳳舞の図である。

四条西洞院交差点から四条烏丸へ阪急烏丸駅に向い、帰路に付きました。

次回は、祇園前祭の本番山鉾巡行当日に触りだけ報告を投稿致しましたが、触り画像に長刀鉾から出発から綾傘鉾までの巡行を投稿致します。

 

 

 

 

 

祇園前祭宵々山 芦刈山

綾小路通の中程まで移動しましたら 、芦刈山の山鉾が見えて居ます。

 

何方の山鉾保存会が有る町内には、縄張りを示す提灯が通りの交差する四角の電信柱辺りに提灯が吊るし縄張りを誇示して居ます。

是はとても大事な事でして、山鉾が密集して居る地域では通り交差点四方に山鉾が点在して居る場所が有り、暗黙の了解で居場所を示す提灯を灯し縄張りを知らしめて居るのです。

芦刈山の謂れは、謡曲「蘆刈」に基づく。

故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻と再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。

御神体(人形)の旧御頭は天分6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作。

天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は山鉾最古の衣装。

現在の前懸と見送は山口華楊原画の緞通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。

欄縁は彫金飛雁の錺金具は明治36年(1903)川辺華挙 の下絵で藤原観教作。

旧胴懸の「鶴亀蜀紅文絲錦裂」(江戸時代)をはじめ「獅子蜀紅文襦珍小袖」(江戸時代)、古い見送など貴重な染織品を多く残している。

 

此方の画像が、先程触れた芦刈山の装飾品です。

 

最後に、山の後方と保存会のグッズ販売のテントを一瞥して後にしました。

次回の投稿で、最後と致します。

 

 

老舗中華飯店のお品書き

阪急河原町駅及び京阪祇園四条駅から八坂神社・知恩院方面に散策する際、四条大橋の手前に洋風建築の建物が聳え立って居ます。

此方は「東華菜館」と呼ばれる洋館の前身は、西洋料理店「矢尾政」です。

大正の頃よりビアホールブームが始まっており、大正13年「矢尾政」2代目当主・浅井安次郎氏が新しいビアレストランをイメージし、その設計をウィリアム・メリル・ボォーリズ氏に依頼。

大正15年に、このスパニッシュ・バロックの洋館が生まれました。

その後、戦時色が深まる中、洋食レストランの存続が許されない状況になり、浅井安次郎氏はこの建物を中国人の友人・于永善に託しました。

中国山東省出身の于永善(うえいぜん)は、大連で北京料理のベースである山東料理を修得して来日しており、ここで北京料理店を創業。

昭和20年末、「東華菜館」が誕生致しました。尚「東華菜館洛北店」は、現当主・于純政が、平成5年にオープン致しました。

 

平成世代には、京都を舞台にした京都大学農学部卒出身の経歴を持つ異色の小説家・森見登美彦氏執筆「有頂天家族」「有頂天家族2」の化け上手の狸が主人公・下鴨矢三郎とその兄弟達が京都市内を狭しと暴れまわり笑いを誘う作品で、此方の「東華菜館本店」がアニメの舞台と成って居ます。

 

東華菜館本店前を通っ時に、偶然玄関入口でパンフレットがポストに差し込まれて居るのを目にして一部持ち帰りました。

パンフレットのお品書きに目を向けると、とても追い其れとは入店して気楽に食事を行う事を躊躇う程、財布👛の中を気にする価格が表示されて居ました。(笑)

コース料理のお品書きが羅列されて居り、最低価格が税抜き価格六阡円・八阡円・壱萬円・壱萬参阡円・壱萬伍阡円・弐萬円・弐萬円・弐萬伍阡円と七つの価格帯が表示されて居る。

※コース料理は、お一人様の金額です。二人様よりお受け致します。

※種々前菜の盛り合わせ・揚げ物・海鮮類の強火炒め等、料理名が同じでもお値段により内容が異なります。

※料理の内容は、季節により変わります。

※コース料理は、税込金額にサービス料10%を加算させて頂きます。

 

と、上記の説明書きが添えられ、コース料理に消費税+サービス料10%が加算されると但書きが添えられ居ます。一体、幾らに為るか、戦々恐々です。

今度は、1品料理の価格メニューです。

全て撮影するのが困難なので、一部抜粋します。

 

1品料理は、全て税込価格でサービス料が加算され無いので安心してオーダー出来ますが、安い1品料理を注文しても最低1500円からでして、二品とライスを注文したら財布には5,000円以上、否少なくとも10,000円入れて行かないと安心して食事を摂る事は出来ません。(笑)

次回は、また祇園前祭の宵々山に戻り再開します。