近畿ブラ歩き2

以前のブログを踏襲します

牧野公園の花見

片埜神社で祢宜?宮司?さんと神社の謂れに付いて話し込み、般若面の御朱印と方位陣に付いて神社が再建された経緯が太閤秀吉の命でして、大阪城を普請した時に鬼門の方位に当たるので災厄を封じる為に建立したのが本当の話らしいと洩らしていました。

話を終えるともと来た裏参道を抜けて公園の裏側から入り、地元住民の憩い場所と成って居る場所は此の時期は花見で盛況。

私が訪れる1週間前にテレビロケで円広志が訪れていました。(笑) 

其処で公園の奥に目を向けますと花崗岩で作られた塚が有り、前まで伺うと阿弖流爲と母禮の首塚と刻まれており、歴史に目を向けると河内國で処刑された史実が有りました。

其の時代、時の帝聖武帝が大仏建立で日本中の金鉱を漁り、地方の民に困難艱苦を強いて居ました。

其処で立ち上がったのが阿弖流爲です。

 

次回の投稿は、花見の目的地背割堤を投稿します。