行先々で馴染の光景を目にすると、京都の奥深さと普遍性に気付かされます。
駅からトロトロと歩く事20分近く、目指す六道珍皇寺界隈の日常の光景が見えて来ました。
其の昔、平家一門が居住して居る六原の賑が私を迎え入れてくれる。
此方が、六道珍皇寺の門前である。
此の前から御参りと拝観を行なうので出入りは此方の一箇所だけです。
お盆の期間(8月7日〜10日迄)、門を潜ると石畳の参道左横に露店専用の簡易テントを設営してお供え物(高野槇・ほおずき・線香蝋燭等)を販売する業者は毎年変わらずに此方の参道で商売をされて居ます。
左手には、賽の河原の物語と地蔵和讃が聞こえて来る様に錯覚する水子地蔵が見えて来ます。
此方が、六道珍皇寺を御参りされる参拝者が必ず行なう鐘撞堂です。
お供えする亡き人の名前を書き記された卒塔婆を持って鐘撞堂で鐘を撞き、テーブルに置かれた三宝に先祖の名前を書き記された卒塔婆を置いて退出されます。
其の光景は、日を追えば追うほど脇門をはみ出て100m位順番待ちの列を為して居ます。
御朱印所の前に、設置された縁台に腰掛けて眺め見た境内の光景です。
御朱印を授与して退出する際に、横目で眺めた焰魔堂の眺めです。
ご精霊迎えの4日間のみ、お堂にお祀りして居る閻魔像と小野篁像を拝み見る事が出来ます。
普段は、お堂を閉ざして居るので全体像を見る事は出来ません。
最後に、令和6年の六道珍皇寺見開き御朱印です。
御朱印は地蔵尊(地蔵菩薩)ですが、閻魔天が地蔵尊と被って印章が作成されて居ます。
何も知らない方は、可怪しいではないか?とクレームを付ける方が必ず出て来ると思いますが隠された意味が有るのです。
閻魔天の化身が、地蔵菩薩の姿を借りて幼くして両親よりも早く身罷った逆縁の不幸を賽の河原で償う苦行を見守って居ます。
一つ積めば父の為、二つ積めば母の為と石を積み付けて居ますが完全に積み上がる事は無く、完遂直前で鬼がやって来て石をぶちまけてまた最初から遣り直す事の繰り返しの苦行を強いられます。
水子の業を閻魔天が地蔵菩薩の姿を借りて、慈悲の目で陰乍ら見守って居ます。
其の様子を地蔵和讃で謳われて居ます。