四条通と御池通の10基有る山鉾の最後に八幡山を取り上げますが、本当は南観音山が最後に成る筈が前後逆で訪れたのが経緯です。
特に南観音山と鈴鹿山が何年も時間を要しても目通りが叶わず、待ち焦がれてそちら優先した結果で最後に成りました。



此方の八幡宮は石清水八幡宮の分祠では無く、五条通に鎮座されて居ました若宮八幡宮から分祠され、八幡山が保存して居る町会所の庭にお祀りして居ます。

八幡山が保存されて居る会所入口が此方に有り、奥に若宮八幡宮分祠の祠が祀られて居ます。

中から出ますと、町家に案内掲示されて居る山鉾巡行34基の各山各鉾の御朱印が前祭り後祭りに巡行する山鉾を色分けしまして各会所で押印する事が出来る御朱印を案内して居るポスターが貼られて居ました。

八幡山を横目に見て、山が停留しているお陰で道が狭いので他所見せずに左右の間隔を気にして歩いて居ると思わず物に出会う機会を得ました。
其れは、何かと申しますと、何やそんな物(其の様な物)か?と一刀両断される些細な物なのですが、絵心が有る者成らば足を止めて魅入る程の貴重価値が有る物なのです!?
其れが、此方の画像です!


割烹料理店の玄関に懸けられた暖簾なのです。
物凄くド派手でインパクトの色使いして居る独特の構図で演出されたデザインです。
過去に三度、此方のデザインを描かれた製作者(芸術家)の作品を伺いました。
山科に在る随心院(小野小町)の隠居寺の襖絵、清水寺参道に佇む飲食店の暖簾、六道珍皇寺の地獄絵図を描いた屏風、最後に此方の暖簾です。
此方の暖簾を演出した芸術家は、京都に基盤を置いた芸術家ユニット「だるま商会」です。
私も魅入られまして、壬生寺で限定販売されて居る有る物を購入しました。



だるま商会が、デザイン演出した御朱印帳なのです。
後日、此の御朱印帳を持参して名古屋へ遠征に出かけました。が、此方の話はまた他の機会に投稿致しますのであしからず。

八幡山を最後に最後の訪問地四条通を挟んで大船鉾が有る場所へ移動しようとしたら、亦(また)有る物に目が映りました。




あの太閤秀吉が、織田信長に使えて寄騎大名に取り立てられ前の事で、織田信長がお歯黒将軍足利義昭を奉じて上洛した頃迄話は遡り、都の治安を維持する為に秀吉を京都奉行に留め置いた頃の話です。
此の頃の役職が、後に立身出世する始まりで都の商人と公家等との出会いが秀吉の出世に作用した事は疑う余地が無い機会だったと思います。

此方が、令和4年に押印しました八幡山の御朱印です。