近畿ブラ歩き2

以前のブログを踏襲します

京都餃子の王将発祥の地 1号店四条大宮店

京都には幾つか外食産業の会社が興ったが、此方の餃子の京都王将は当時私が大阪府堺市に在住して居ているにも関わらず、深夜ラジオ番組でDJを務めて居た笑福亭鶴瓶が担当して居る「ヤングタウン」でスポンサーに成り番組を支えて居ましたのが餃子の王将でした。

リスナーから葉書が寄せらたら鶴瓶が気に入った便りには、餃子の王将の餃子無料試食券を贈られて居たので自然と京都餃子の王将の企業名がインプットされて居ました。

其れから私の住む堺市にも1年も経たずに、京都王将が進出して来ました。

当時、餃子5人前を30分以内で食べるとロハ(只ただ)に成るキャンペーンを行って居ましたので挑戦して、無料を勝ち取りました。

勿論、此れ1回限りで私は止めましたが、中には卑しい者も居るもので何度も店を訪れる猛者も居られ、味を占めて中には来店拒否される者も居られると思われます。

 

此方が、栄え有る王将1号店でして北九州の反社会勢力に恨みを買って暗殺された前王将本社社長が現役店長の時、厨房で鍋を振るってスタッフを叱咤激励して店の隆盛に尽くしました。

亡く成られた前社長の名誉の為に申しますが、元創業者一族が犯した会社業務背任が会社が傾き、倒産寸前まで追い込みました。

創業者一族と袂を分かって京都王将の歴代経営者達は社稷が傾いた王将を盛り上げて今日に至ります。

亡く成られた前社長が、元創業者一族の負の遺産清算しようと全精力を傾ける中、あの悲惨な出来事が起きまして全従業員が意気消沈して居ましたが、亡き社長の遺志を引継ぎ難局に立ち向かっています。

因みに、前創業者一族が興した会社が、同じ社名「王将」に大阪の冠を付けた大阪王将を名乗って居ます。

 

 

私が何故此方のお店が、餃子の京都王将1号店であると知ったのかと申しますと、壬生浪士組が屯した壬生寺へ伺った時、丁度阪急大宮駅の地下構内から地上へ上がった時に偶然見付けました。

壬生寺参拝後、四条大宮店に昼食へ伺いまして王将の代名詞の餃子2人前と炒飯を堪能しました。

次回の投稿は、南・北観音山を紹介します。