六原界隈から南へと下る様に第一の目的地まで歩くと目指す目的地が見えて来ました。
目的地を正面に見据え様に、異様な雰囲気を醸し出す創業450年以上続く日本一歴史有る老舗飴屋が通りに面して佇んで居ます。
此の飴屋、落語噺にも出て来る異例の体験話が話に成り、落語のオチも近くに在る名蹟を文字って笑いを誘う終わり方です。
ある夜、珍皇寺門前の六道の辻飴屋の戸を叩く音がする。
店の者が出てみると、やせた青白い女が、「えらい夜分遅うにすみませんが、飴を一つ売っていただけませんか」と、一文銭を差し出した。「はい、どうぞ」、女は礼を言って大事そうに飴を持って、音もなく店から出て行った。
と話が始まり、通いが六日続いたの店主が怪しみ、手代に六日目は来ないと諭す様に言った。予想は外れ、七日目も店に来たので訝り女の様子を伺った。
女は、「今夜は、お代が払う事が出来ません。お恵み下さいませ。」と申したので疑惑が確信に変わった。
主は手代に女の後付けて様子を伺えと申し付けた。
後を追い続けると、女は高台寺の墓地に入って行った。そして新しい卒塔婆の前で消えた。
寺に事の顛末を話し、女が消えた墓を訪れ、墓を掘りお越した。墓の中からは女が死んて子供を出座して居た。
幸いに飴のおかげで子供は生きて居た。
子供の居ない飴屋の主人夫婦は子供を引き取り、大事に育てた。
後に此の子供は立派に成長して、飴屋夫婦に孝行を尽くし、高台寺のお坊さんになって飴で育てくれた母親の供養をした。
母親の一念で、一文銭をもって飴を買って墓の中で子供を育てていたという、其れも其の筈で、「こおだいじ(高台寺・子を大事)」と言うオチで噺を締め括るのです。